
ayaka
1991年生まれ/O型
静岡県富士宮市出身
4歳と2歳の兄妹ママ
▶高校卒業後、横浜の専門学校でアロマテラピーや認定エステティシャンの資格を取得
▶トータルエステサロン勤務 店長として多くのお客様と向き合う
▶出産・育児というライフステージの変化の中では、自分と向き合う時間がほとんどなくて、
“がんばりすぎる毎日” を身をもって経験
▶妊娠中に資格取得しベビーマッサージ、ベビーヨガ教室を開業
娘が赤ちゃんの時は娘も参加型の地域のコミュニティを作り、
「人がほっとほどける瞬間」に寄り添う喜びを再確認
▶piú 開業
自身の経験を活かし人のためになりたいという一心で技術の習得、ブラッシュアップのため
ゆるかっさ®を東京で学び、地元富士宮市に「più」開業。
my story
【第一章】「きれい」を整えるのが好きだった、私の原点
私のセラピストとしての根っこを辿っていくと、たどり着くのは「自分の手で何かを整える」ことが大好きだった子ども時代です。
お菓子作りやアクセサリー作りなど、細かい作業に没頭する時間は、私にとって何よりの楽しみでした。納得いくまで作り込んだり、
小さなパーツを組み合わせて新しい形を作ったり。
自分の手の中から「きれいなもの」が生まれる瞬間のワクワク感は、今でも鮮明に覚えています。
また、子どもの頃から人一倍の「きれい好き」でもありました。
休み時間に遊んでいる中、小学1年生の頃、私は一人で身の回りの掃除をしていたこともあります。(今考えるととても不思議な子。笑)
決して大人しくて目立たないタイプというわけではなかったのですが、散らかった場所が整い、
汚れたところがピカピカになっていく過程を見るのが、とにかく気持ちよかったのです。
「ここを磨けば、もっと気持ちよく過ごせる」
そんな風に空間や物を整えることに喜びを感じていた感覚は、
今の「お客様の体を整え、スッキリと軽くなっていただく」というセラピストの仕事に、
そのまま繋がっているような気がします。
家庭では、親から「普通でいい」「真面目が一番」と言われて育ってきました。
その教え通り、やるべきことにはコツコツと取り組む真面目さは持ちつつも、
心のどこかでは「いつか、自分の手で何か大きなワクワクを作ってみたい」というエネルギーを秘めていたように思います。
大人になった今は、周りから「普段は穏やかだけど、たまにぶっ飛んでいるよね」「ちょっと天然?」なんて言われることもありますが(笑)、
それもきっと、子どもの頃から胸の奥にあった「整えることへの熱量」や「ワクワクしたいエネルギー」が、今になって溢れ出ているからかもしれません。

【第二章】都会への憧れと、iPhoneで見つけた夢
そして、転機は高校時代でした。美容の専門学校に通っていた姉の影響で、少しずつ「おしゃれ」の世界に心惹かれるようになったのです。
「都会へ行ってみたい。広い世界を見てみたい」地元の穏やかな空気を飛び出し、憧れの横浜にある美容専門学校へ進学しました。
当時の私は、都会のキラキラした空気に圧倒されながらも、必死に背伸びをしていました。
駅構内のカフェでアルバイトをして、当時出たばかりのiPhone3GSを手に、「横浜 エステ」「横浜 リンパマッサージ」と夜な夜な検索しては、
友達とサロン巡りをする日々。
そこで出会ったエステティシャンのお姉さんたちは、本当に眩しく見えました。
「かっこいい……。私も資格を取ったら、あんな風に誰かを喜ばせることができるのかな」
その憧れが、私をこの道へと突き動かしました。
けれど、都会の華やかさの裏側で、おっとりした性格の私は、少しずつ摩耗していました。
3.11の震災も重なり、人の多さやスピード感に、心が「もう、いっぱいいっぱいだよ」と声を上げたのです。
結局、都会での生活はたった2年で幕を閉じました。
「私はやっぱり、故郷 富士宮の空気が合っている」
20歳で富士宮市に戻り、地元のエステサロンに就職。そこから、私の本当の修行時代が始まりました。
【第三章】現場の荒波と、店長として駆け抜けた8年半
専門学校で学んだ知識と、実際の現場は天と地ほどの差がありました。
朝から晩までバッタバタ。新しい手技を覚え、マシンの使い方を叩き込み、先輩たちのカウンセリングトークをこっそりと聴いてあらゆる接客を学びました。
「真面目が一番」という根っこの性格が功を奏したのか、私は夢中で突き進みました。
気づけば8年半。店長という責任ある立場も任せていただけるようになりました。
のべ6,000人以上のお客様のお体や肌に触れ、悩みを聞き、笑顔で帰っていく姿を見送る。
その経験は、私のセラピストとしての揺るぎない自信と誇りになりました。
その後、結婚。
「子どもができると、今までみたいには働けないよ」という周りの言葉に、ふと立ち止まりました。
「私、エステしかしたことがない。他の世界も知っておいた方がいいのかも」
そう思い立ち、長年勤めたサロンを退職しました。
【第四章】廊下を走りたかった事務職時代と、動かないサロン
退職してすぐに世の中はコロナ禍に突入しました。コロナ禍で求人はなく、
2ヶ月ほどふらふらとしていた私を見かねて、友人が「事務の仕事」を紹介してくれました。
人生初のデスクワーク。
そこで私は、自分の本性に気づかされることになります。
座りっぱなしの毎日。
「……辛い。廊下を全速力で走りたい!!」
ウズウズして、体が動きたがっている。たまにお客様の対応をして笑顔を向けられると、「やっぱりこれだ!」と心から思える。
「私は、自分の手で人を癒したい。それが私の命の使い道なんだ」
その想いを形にするため、マイホームの建設と同時に、念願だった自分のサロンを建てました。
ところが、人生はそう簡単には進みません。
妊娠、出産。母となり、我が子のためにとベビーマッサージの資格も取り、地域でベビーマッサージ教室を開催し、
同時に開業する自信と技術の向上のために東京セラピストスクールへ通いました。当時3歳と1歳の子をおいて東京へのスクール通い。
聞いていた以上に「女性のライフワークバランス」は過酷でした。
家事、育児、そして理想のサロン。やりたいのに、動けない。
結局、建てたばかりのサロンは4年間、物置状態になりました。
「どうして私は、思うように動けないんだろう」
暗い部屋に置かれたままの施術ベッドを見ては、葛藤する日々。そんな中で、ついに体が悲鳴を上げました。
産後のホルモンバランスの乱れと育児疲れ。自律神経を崩し、めまい、食欲不振、生理不順……。病院をハシゴする毎日。
あんなに人を癒したかった私が、一番ボロボロになっていたのです。
【第五章】「piú」に込めた本音
「piú(ピウ)」に込めた「もっと、少しずつ」という言葉は、かつて自分自身に言い聞かせていた呪文のようなものでした。
4年間も物置になっていたサロン。
「私、何やってるんだろう」
そんな情けなさを抱えながら、めまいで起き上がれない日を過ごしていたあの頃。
キラキラした起業家でも、完璧なママでもない、ボロボロの自分がそこにいました。
だからこそ、私は綺麗事ではない「回復」の場所を作りたかったんです。
朝起きて「あぁ、体が重い」と思いながらコーヒーを流し込み、仕事や家事に追われ、夜は気絶するように眠る。
自分のことなんて後回しにして、誰かのために走り続けることが当たり前になって……。
気づけば、心が「本当はどうしたい?」と聞くことさえ、忘れてしまっているかもしれません。
「piú」は、そんなあなたが一度「自分」に帰るための場所です。
ただ凝りをほぐすだけじゃなく、張り詰めていた神経のスイッチを、ブチっとオフにする。
「あ、私、こんなに疲れてたんだな」
そうやって自分の疲れを認めてあげることが、本当の回復への第一歩だと思うのです。
完璧じゃなくていい。いきなり元気全開にならなくていい。
まずは、ギュッと固まった肩の力を抜いて.
「朝、スッと起きられた」
「家族に、いつもより少し優しくなれた」
そんな、小さな、でも確かな変化を一つずつ積み重ねていけたら最高です。
そんな想いで私はセラピストをしています。
ご一読くださりありがとうございました。
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